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センチメンタル・ストッパー

〜our feared of dreams〜


 その夜、るりかと僕は都内のとあるスタジアムにいた。
ここは対戦相手の本拠地。いわゆる「敵地」だ。日曜日と三連戦の最終日。シーズン終盤の首位攻防の天王山。
いくつかの要因が重なり、(八割方『敵側』ながら)今夜も満員御礼である。
試合は、互いの先発投手が今季一番の好投。ともに無得点のまま八回まで進み…そして九回表。均衡が破れた。
この回、先頭の六番のバッターが四球で歩いた。七番が送りバントでランナー二塁進塁。
期待の八番バッターが三振で倒れた所で、監督は好投していたエースを諦め、代打を送る。 
この作戦が功を奏した。ピンチヒッターは期待にこたえライト前ヒット。この一打で二塁走者が生還。
待望の勝ち越し点が入った。
そして、九回裏。
地鳴りのような歓声(あるいは悲鳴)に迎えられて、『抑えの切り札』とよばれるリリーフ・エースがマウンドに上がる。
要するに。
僕らは、この夜、そんなスタジアムにいる。

 野球はやはり最終回が盛り上がる。
その上、一点差。さらに、ホームチームの最後の攻撃。
今日のストレスも、明日の仕事も忘れて、ひたすら、叫ぶ。
とりあえず、怒鳴る。とにかく、歌う。飲んだら、踊る。
それが、九回裏である。
「まるで、もう勝ったような騒ぎだね。」
僕が、オレンジ色に染まった一塁側の盛り上がりを見て言うと、
「いつものことだよ。」
同じくスタンドを見ながら、るりかが言った。僕はそれを無視して続ける。
「さすがは地元だなあ。」
「…九回裏は、ナゴヤドームでも同じじゃないの。」
「その上、一点差、九回裏という場面で、打順は三・四・五のクリーンアップ……」
「…おまけにリリーフ・ピッチャーがルーキーだし?」
るりかは、こっちのセリフを先回りして言うと、青いベースボール・キャップのつばに指をやった。
ほっそりとした、不思議なくらいにきれいなままの白い指。右手の指だけに塗られた透明に近い桃色のマニキュアは
化粧品ではない、ツメ割れを防ぐための医薬品だ。
「騒ぎたくもなるか。」
苦笑混じりに、胸の辺りにあるるりかの顔に向かって言ってみると、
「騒がしとこうよ」
と返事。にっこり笑って顔を上げる。
動揺も緊張も感じさせない自然な、笑顔。
全く、大した度胸だ。
エアコンの微風が僕らの間を通りすぎていく。
「ああ…」
るりかは、ユニフォームの胸を張って深呼吸した。
「風、吹くんだね。ドームの中にも………」
その時の表情があまりに彼女らしくて、僕は、思わず笑った。
「なによお」
るりかは、ふくれた。
「だって、いつまでも初登板みたいなことを言ってるから。」
「今でも、夢みてるみたいだよ…プロの選手としてスタジアムの真ん中にいるんだもん。……信じられない。」
そう、今夜、るりかと僕はスタジアムにいる。
観客としてスタンドにいるのではない。
僕らは、プロの一軍選手としてグランドに、それもダイヤモンドの真ん中、ピッチャーズ・マウンドのてっぺんにいる。
その上、僕の目の前にいるこのちっこい、見た目普通の女の子は、正真正銘、日本プロ野球史上初の女性プロ野球選手ときている。
「信じられない」は、こちらの台詞だ。
スタンドを見上げて、僕はるりかに言った。
「まあ、まったく。よくもここまできたもんだよな。」
「うん。」
るりかは小さく返事をして、再びスタンドを見上げた。

 事の始まりは、「偶然」だった。

 僕が、るりか…山本るりかと始めて会ったのは、大学の新歓コンパだった。
野球部と演劇部のコンパ会場が、偶然、同じ居酒屋のとなりの座敷で、これまた偶然、彼女と背中合わせに座ることになった。
偶然二人とも野球観戦が趣味。偶然同じく熱狂的なドラゴンズ・ファン。
(こいつは、東京ではちょっとした『奇跡』だ。)
野球談義に盛り上がり、日曜日の練習試合に誘うと、
「速攻で応援に行く!」
てな話になった。
…で、その試合当日。
偶然リリーフ・ピッチャーが食あたりで投げられなくなった。
キャッチャーをしていた僕は「ま、練習試合だから」てなノリで、るりかを投げさせる事にした。

 これは、あのコンパの夜、るりかの
「小学校の時は男子にも打たれたことはなかった」
という自慢話と、
「日本人初の女性プロ野球選手!」
と、いうその頃の「夢」を聞いていたからである。
(その時、幼なじみの話をするせつなそうな彼女の表情が気になって
…ちょっと意地悪をしてみたかったのかも知れない。)

 相手はいわゆる強豪校だが、OB同士のコネで組まれて試合後に合コンがあるような交流試合だ。
出ている選手も全部二軍。一軍はスタンドでビール片手に観戦してる。
彼女の登板はちょっと変わった「余興」。
大体、誰が本気にするんだ? 
史上初の女子プロ野球選手だなんて、漫画じゃあるまいし。
夢というのもおこがましい。タチの悪い冗談だ。

 ところが。

「す」
背後から惚けたような審判の声が聞こえた。
「すとらいく。ばったーあうと。」
 マウンドの上。スカイブルーのポロシャツとアイボリーのゆったりしたショートパンツ、足元は白いソックスと
履き込んだエアマックス(復刻版 日本製)といういでたちのその女の子は「やったね!」と小さくガッツポーズ。
軽い足取りでベンチへ帰って行く。
その後ろ姿を、ミットを抱えたまま、僕はただただぼーっと見送っていた。
 
実際、冗談のようなピッチングだった。
まず、高卒レベルとしてはストレートが異常に速かった。
(男子レベルでだ!)
驚いたことにカーブもシュートも投げた。(カーブは二種類。)
(コレがまたよく曲がった。)
予告無しにスライダーを投げてきたので、思わず落球した。
(あわててタイムをとって、どこで練習したのかと訊ねたところ、「う〜ん。最近流行ってるから♪」との返事が返ってきた。
…自力でマスターしたらしい。)
相手チームの四番を「るりかボール」なる魔球(るりか命名。落差のあるナックル。)で、三振に仕留めたときには、
僕の方が夢を見ている気分になっていた。
人に聞いたら冗談に思える。自分で見たら目を疑う。後から思い出しても夢のような。
そんなピッチングだった。

「あとは何か落ちるボールがあると楽しいんだけどね。でもフォークは指が辛いし、やっぱりシンカー、おぼえよっかな。
ほら、わたしってサイドスローでどっちかっていうとキレ重視だから、『落ち系』はできればスピードが欲しいし」
「はあ、そーすか…」
もう他に何も言う気になれなかった。
「ヤクルトの高津投手なんか今いいよねー。でもシンカーっていうとやっぱり山田さんだよね。」
「そーすね…」
「もう! ノリが悪いなー。ばしっとしてよ。まだ二回あるんだから逆転できるって!」
「そーすね……」
視界の隅で、ウチのエース(三回生。甲子園経験あり。)がポカリのボトルを落とすのが見えた。 

 結局この試合。るりかは有名強豪大学の現役選手を相手に三回を無安打、無失点、
九連続奪三振……等という洒落にならない快投を演じ、勝利投手になってしまった。
僕たちは八回の二点タイムリーで逆転。向こうは一軍のレギュラーを注ぎ込んで代打攻勢をかけたのだが、ハッキリ言って役不足だった。
彼女のボールは、強豪校とはいえプロでもない大学生が一度見たくらいで当てられるような、そんな生やさしいものではなかったのだ。
しかし、最大の、いや本当の「偶然」は試合後に訪れる。
その試合を、某名古屋球団のスカウトが見ていたのである。

 あれから、一年。
怒濤の入団テストと球団職員採用。大騒ぎのドラフト会議と入団会見。ファームでの秘密特訓に初登板……
何の変哲もない普通の短大の女子学生と普通の大学の弱小野球部員だった僕たちは
(それはもうバラエティーに富んだ)トラブルと幸運を経て、今、ここにいたりする。

「……監督から伝言がある。」
僕は(三塁ベンチをちらりとみてから)伝えた。
「休ませてやれなくて、すまん。……だそーだ。」
ふくれっ面の僕の顔を見て、るりかがくすりと笑った。
「不公平だよね。監督って、わたしにはやさしいもん。テレビで見てるときはもっと恐い人かと思ってた。」
「…恐い人なんだよ。」
誇張も冗談もない。これは事実。
「この前『ひいきだー』って文句言ったら、『俺はフェミニストだ!』って開き直ってたけど。」
だが、るりかは、けらけらと笑いとばしてくれた。
「…いつか、後悔するぞ。」
「はいはい。」
「返事は一度」
「ほ〜い。」
決め球とバッターの苦手を確認。二言三言の簡単な打ち合わせ。
一通り済ませて、僕は、るりかをマウンドに残し、自分の守備位置に戻った。

振り返ると、マウンド上のるりかは、また一塁側の観客席を眺めていた。
一塁側だけではない。その後、ネット裏をみる。
さらに、三塁側を見て、最後にぐるりと一回転……
「………」
るりかはマウンドに立つと、必ず、全部の観客席を見渡す。
無意識のクセか意図しての習慣かはわからない。
誰か知り合いの顔を探すようにもみえる。
しかし、それにしては、ただの一度も探す相手を見つけたような様子はなかった。
いつも、しばらくそうした後で、顔を伏せ、ため息をつき、少し…、
そう、ほんのちょっとだけ、肩を落とす。
その仕草にどんな意味があるのかも、僕は、知らない。
ただ、その時のるりかは、見ているこっちの胸が痛くなるほどに、せつない表情をしている。
僕は、その訳を訊けない。
だから、今日も。
僕は、その「儀式」が終わるのを待って、サインをおくる。
初球…インコース低めに「るりかボール」。
るりかは小さく頷くと、ゆっくりと振りかぶった。        



                    






長老様あとがき

 こんにちは。長老です。
白状します。
長老はるりか命のセンチファンで、根っからのドラゴンズ・ファンです。

 最初に惹かれたのは、優と若菜だったのです。
ショートカットの元気な娘に弱いので、明日香も好きです。
根が体育会系なので、夏穂にはぐっときました。
勤め先が博物館関係なので、美由紀には親近感を覚えました。
1の終了時点では少なくともそうでした。
 が。
某ジャーニーにて、アンモナイトの化石を運びながら
「日本シリーズでGが負けるの見んといかんもんねえ。」
とのたまわった女の子を見た瞬間、他の事はどーでも良くなってしまいました。
初めてでした。
ドラゴンズ・ファンのヒロイン。
撃沈でした。(笑)                      

 2のるりかは「演劇」という新しい分野に飛び込んでいきました。それはそれでいいのですが、
長老は小説の「男の子女の子」(『約束』に収録)がエピソード。
あのまま、文集に書いた将来の夢に向かって走るるりかが見たくて、このお話を書きました。
お楽しみいただけたなら、幸いです。

                
 長老 拝










〜今日のお話〜

今日は、いつもうちに遊びに来てくださっている長老様より、るりかのせつない、サクセスストーリーを頂きました。
頑張る女の子は素敵です。
一生懸命な物語の中にもセンチな話が散りばめられているあたりに、
長老様のセンチにかける想いが込められています。
るりかがスタジアムのマウントでその仕草を見せるシーン、とてもせつないですね。




(2000/05/21)




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