星夜の邂逅
| 暗闇に浮かぶ赤い十字線から狙いを外さないようにコントローラーのボタンを時々押す。 イヤホンから聞こえる曲が4曲目の終わりに差し掛かった。そろそろか…。 俺は望遠鏡を揺らさないようにそっと後ろを向いて、腕時計の文字盤にペンライトの先を押し付けて光が漏れないようにライトを点け、そして消した。 暗闇に浮かぶ蛍光文字盤を見ると、20分まで20秒……10秒……5、4、3、2、1。 俺はカメラレンズの前を黒い紙で覆うと、レリーズでシャッターを閉じた。 よし…ガイドミスもなかったし、多分、うまく撮れた。 ここは俺の母親の故郷、その集落の外れ。夏休みを利用して遊びに来るのは子供の頃からの年中行事だ。 俺がこんな真夜中、街灯もない暗がりで何をしてるかというと、天体写真の撮影だ。 傍らに鎮座するのはバイト代をはたいて買った望遠鏡。その鏡筒の背中には200ミリ望遠レンズを装着した一眼レフカメラが雲台で取り付けてある。 デジタルカメラ全盛の昨今だが、俺が使っているのは親父の銀塩カメラ――昔ながらのフィルムを使うカメラ――だ。いずれはデジカメにしたいけど、今は金がないから(泣)。 俺は次の撮影対象に望遠鏡を向けると、接眼レンズの視野に明るめの星を入れた。 モータードライブが微かな音を立て、狙った星を視野に浮かぶ十字線の中央に捉える。 続いて雲台を操作して、カメラの向きを撮影対象に合わせる。 接眼レンズを覗いてガイド星が十字線の中央にあるのを再確認すると、腕時計の秒針がゼロを指す15秒前にカメラレンズの前を黒い紙で覆い、レリーズでシャッターを開いた。 カメラの微弱な振動が収まり、尚且つ秒針がゼロを指すタイミングで紙をレンズの前から退けて、望遠鏡の接眼レンズに目を移した。よし、ガイド星はまだ十字線の中央にある。 俺はコントローラーを持ち直し、イヤホンから聞こえてくる音楽に耳を傾けて、あと何曲の間ガイド星が十字線からずれないようにすればいいか、頭の中で計算した。 天文マニアでもなければ、俺が何でこんなことをやっているのか分からないと思うので、簡単に説明しておくことにしよう。 そもそも天体写真というのは、一般よりはるかに暗い被写体を対象とするから、普通の風景写真のように星空にカメラを向けてシャッターを切っても、まず写らない。 これは黎明期――多分、明治初め頃か?――の写真を思い浮かべて頂くと分かりやすい。 初期の写真というのは撮ってもらうとき、カメラの前で一定時間じっとしていなければならなかったという話を聞いたことがないだろうか? これはフィルムの感度が一般写真を撮るのにさえ低過ぎたからだが、人間が相手なら頼んでじっとしていてもらうことができても、星にじっとしていてもらうわけにはいかない。 星は地球の自転でどんどん動いてしまうからだ。地球の自転を止めるなんてできない。 ならどうすれば良いか? 簡単だ。向こうを止められないならこっちが動けば良い。 望遠鏡を地球の自転に合わせて逆方向に動かせば、視野の星は止まって見えることになる。 そしてその望遠鏡にカメラを付け、星が写るほどのスローシャッター――撮影対象や方法などにもよるが、少なくとも数十分――で撮れば良い、というわけだ。 ただし、その間に少しでも動きがズレると一般写真の手ブレと同じことになってしまう。 だからシャッターを切る時のカメラの振動すら禁物だし、望遠鏡を動かすモーターも地球の自転を完璧に追いきれないので追尾がズレないように常に監視、調節が必要だ。 また、不用意に灯りを点けてその光までフィルムに焼きついてしまうと、せっかく撮った星がかき消されてしまうから気を付けないといけない。 俺は腕時計の文字盤に目をやり、タイミングを見計らってカメラレンズを黒い紙で覆ってシャッターを閉じた。 曲が最後まで行って音楽が止まっている。俺はイヤホンを外して耳の穴を掻いた。と、 「何をしているんだい?」 後ろから急に声を掛けられて、俺はドキリとした。こんな真夜中、街灯もないこんな場所に他の人間がいるなんて思ってもみなかった。 ちょっとビビリながら振り返ると、そこにはほっそりとした人影があった。 幸い幽霊じゃなかったようで…見たところ俺と同い年くらいか。髪が短くて口調も男みたい、というかあまり性別を感じさせないが、どうやら女の子らしい。 「えっと…天体写真を撮ってたんだけど」 「ふうん…確かにここは星を見るにはいい場所だね。私もここで星を見ていていいかな?」 俺としては不用意に灯りを点けたり機材を揺らしたりされなければ別に構わないのでそう言うと、その娘は傍の草むらに仰向けに寝転がった。 言葉にこの辺の訛りがないけど…夏休みの時期とはいえ、こんな観光地もないような田舎に、それも真夜中に来てこの娘は何をやっているんだろう? 俺はひとしきり撮影を終えるとその娘に声をかけた。 「…よかったら望遠鏡を覗いてみるかい?」 「いいの?」 俺は接眼レンズをガイド用のものから中倍率レンズに換えると、頭上高く昇ってきていたカシオペア座とペルセウス座の中間辺りに望遠鏡を向けた。 「へぇ…ペルセウス座の二重星団だね」 「あ、結構詳しいんだ?」 ペルセウス二重星団は数百個の星の大集団が二つ寄りそって見える天体だ。望遠鏡で見ると、金銀の粉を振り撒いたような光景が視野一杯に広がって、初めて望遠鏡を覗く人はほぼ例外なく感動してくれる。 「ありがとう。きれいなものを見せてくれて」 その娘はそう言うと再び草むらに寝転がった。 「もういいのかい?」 「うん…私は、星は目で見る方が好きなんだ」 言われて俺は空を仰いだ。 「こうやって星を見ていると、他の景色が見えないから本当に宇宙にいるような気持ちになれるんだ。地球も宇宙にあるんだって実感できる。キミはそう思わないかい…?」 そんな事、思ってもみなかった…いや、俺も前は純粋に星を見ていたはずなのに、いつの間にか撮影技術を追い求めて小難しい理屈ばかり並べるようになっていたんだ。 「…詩人なんだな、君は」 「フッ…そう? ありがとう」 と、二重星団の傍を星が流れた。 流れた方向や速さ、光り方の特徴などからすると、ピークには少々早いがペルセ群だな。 「ペルセウス座流星群…もう流れ始めているんだね」 今のを一瞬でペルセ群と判断するとは、この娘…流星屋か…? “流星屋”というのは天文マニアの中でも流星に的を絞って観測している人たちのことだ。 だが、この娘は今の流星を記録するでもなく、ただ星空を眺めている。 「今年もまた…ペルセウス座流星群の季節が、やって来たんだね」 俺は思わずその娘を見た。何だかその口調がさっきまでと違ってひどく寂しげな気がしたからだ。でも、暗がりの中、その娘の表情は全く分からなかった。 やがて、夜明けが近付いて空が白み始めた。俺は機材を片付け始めた。 と、例の娘は大きく伸びをして起き上がった。…ひょっとして眠っていたのか…? 「一体どこに行くんだい? まだバスは走っていないはずだけど…」 俺がそう声を掛けると、リュックを背にした女の子が微かに笑ったように感じられた。 「さぁ、特に決めてないよ。じゃ、縁があったらまたどこかの星空の下で会えるかもね」 そう言い残すと女の子は、まだ薄暗い田舎道に消えて行った。 あの娘には、『星を見る』という事の原点みたいなものがあったような気がする。 最近は星を見に行っても撮影ばかりで、ガイド星しか見ていなかったな。俺もたまには撮影だけじゃなくて、普通に星を見てみるかな。 そう言えば、名前も聞かなかったな…と、今さらながら俺は気付いた。まぁ、こっちも名乗らなかったけど。 でも…不思議な娘だったな…。俺は借り物の台車に片付けた機材を積み込んで、ゴロゴロ転がしながら家路についた。 終り |
〜 梅小路久彦さんあとがき〜
| 実は私には星を見る趣味があるのですが、星を見ているときに、「もし偶然、優に会 うとしたらこんな感じかな」と思いついたのがこのお話です。 私は別に優属性じゃないので、あまりせつないお話にはなりませんでしたが…。 優にはあえて名乗らせませんでしたが、優らしさが出ているでしょうか? |
| 突然現れて、またふらりと居なくなるところなど 優らしいですね。 彼女は次はどこへ現れるのでしょうか。 もしかしたら貴方の住んでいる街かも・・・ |
