丸山公園の葉桜の下で
東京駅を六時過ぎに発った新幹線は、九時前に京都駅に到着した。 リュックを背にホームに降り立つと、俺は軽く息を吸い込んだ。かれこれ一年振り、か…。 市バスに乗り換えておよそ二十分、車内アナウンスが懐かしい停留所名を告げる。俺が通ってた小学校の辺りや。 一年も経つと店舗など、所々に変化もあるが、有名どころの寺社仏閣はさすがに変わってなくて、少しホッとする。 祇園で俺はふと思い立ってバスを降りた。 四条通りとそれに直交する東大路通りを背に、八坂神社の石段を登る。西楼門から後ろを振り返ると、喧騒が眼下に広がった。 八坂神社の境内を抜けて丸山公園に入った。しだれ桜はすっかり葉桜になっとる。 さすがに観光都市・京都。桜のシーズンを過ぎても観光客らしい人の姿がちらほら見える。 俺は自販機で缶コーヒーを買って一口飲むと、しだれ桜の傍にあるベンチに腰を下ろした。 美味い…。向こうには缶コーヒー、と言うかそもそも自販機の類がなかったから、久し振りの缶コーヒーがのどに沁みる。 一応、東京で感動の(?)対面は済ませたけど、何遍飲んでも美味い物は美味い。 と、視界の隅に何か動く物があるのに気付いた。 何や…? 視線を向けると、ヨチヨチ歩きの赤ちゃんがこっちに向かって歩いて来るとこやった。 覚束ない足取りで近付いて来るのを黙って見とると、その赤ちゃんは俺のすぐ足元のところで足をよろめかせた。 おっと…。俺は片手を出してその赤ちゃんを支えた。 赤ちゃんは、キョトンとした表情で俺を見上げてきた。思わず頬が緩む。と、 「すみません…」 赤ちゃんのお母さんらしい声がベビーカーを押しながら近付いてきた。 「あら…?」 …何や聞き覚えのある声やと思たら… 「…綾崎さん、とちゃうか。姓、変わってんにゃったね」 綾崎さんはトレードマークのロングヘアを肩あたりで切って、すっかり若奥さんちゅう感じになっていた。 綾崎さんは小学生の時のクラスメートや。 俺が向こうに居る間に結婚したのは挨拶状で知っとった。相手は同じクラスメート――て言うても、六年の時に半年ほどしか居らんかった奴やけど…。 さて、姓は変わったけど、一体何て呼んだらええもんやら…まあ、俺の中では“綾崎さん”て呼ばしてもらうことにする。新しい姓とか“奥さん”とかやと、何やいまいちピンと来いひんし。 俺の隣に座って赤ちゃんをあやす綾崎さんは、すっかり母親の顔やった。 一つのベンチに若い女と赤ちゃんと、そして男…傍目には綾崎さんと俺は若夫婦みたいに見えてるんかな、なんてアホなことを考えてしまい、慌てて打ち消した。 「そう言うたら、住所は東京の方と違たっけ?」 貰ろた挨拶状の内容を思い出して俺は言った。 「ええ。明後日、法事があるものですから…それに、お爺様がすっかり頑固になってしまって…時々この子の顔を見せないと、機嫌が悪くて大変なんですよ」 あの爺さんやったら、元から頑固やんか。もしかして、更に気難しなったんか? …会いとうないなぁ(汗)。 「あいつも来とるん?」 「主人は仕事の関係で明日になります」 その“主人”ちゅう言葉には何の照れも気負いもなくて…そのことが、綾崎さんに流れたこの二年近い時間を感じさせた。 「ところで…二人目…?」 ゆったりとした服の上からでも分かる、ふっくらしたお腹を見て訊くと、綾崎さんは微かに頬を染めた。 「最初が男の子だったから、次は女の子の顔が見たいってお爺様が煩くて…」 綾崎さんは自分のお腹を愛しげに撫でながら続けた。 「『この子の花嫁姿を見るまでは死ねん』、が最近の口癖なんですよ」 あの爺さんならそれくらい平気で生きてそうな気がするな…ちゅうか、女の子て分かってんのか? そもそも、まだ生まれる前から気が早過ぎ(笑)。さすが、高校の時に付き合うてた綾崎さんとあいつを一気に婚約させてしもただけある。 「そう言えば、以前は結構な物を頂きまして、ありがとうございました」 「え? あぁ、一時帰国した時の…」 「お爺様が、とても珍しい人形だと喜んでいました」 …爺さんに渡っとったんか…まぁええけど。 ほんまは、綾崎さんに結婚祝いのつもりで買うた物や。 直接会う機会がなかったから、渡してくれるよう親父に頼んだんやけど…まあ、一時帰国の時点で結婚から一年近く経っとったし、余計な説明もせんかった。 それは向こうで買うた木彫りの像。全体の形は、頑丈な鎖の両端に男女を表す一対の像がそれぞれくっついてる…っちゅう感じ。向こうの結婚祝いで贈られる伝統工芸品や。 鎖も像も全て一本の木を切り離さずに削って彫り出されていて、継ぎ目が全くないから砕けでもせん限り二つの像が離れることはない。死が二人を別つまで…っちゅうことやね。 ほんまは完成した後に、呪術師が何か儀式を施すんやと思うけど、俺が買うたのはそれを模しただけの土産物や。 「そう言えば、いつ日本に? 昨日お父様にお会いしましたけど何も仰っていませんでしたわ」 俺の親父は、綾崎さんの実家が営む伝統工芸の工房に勤めとる。 「先週末に帰国しとったんやけど、東京の事務局に顔出して、報告書出したり健康診断とかしてて、ついさっき帰って来てん」 近々帰ることは知っとるはずやけど、帰る日がいつになるか正確にはまだ言うてへん。顔を見たらいきなり文句言われそうやな…。 「また、アフリカへ?」 「いや、あれは期間契約やから…これからどうするかはまだ決めてへん」 「お父様のお仕事を継がれるのではないのですか?」 「んー、あれは兄貴が継いどるから…それに、俺は兄貴ほど器用やないし」 「あなただって、手先は器用じゃないですか」 綾崎さんが知ってるのは小学生の時の話や…と俺は思たけど、口には出さんかった。 俺はリュックを背に立ち上がった。 「したら、そろそろ行くわ。あいつによろしゅう…あぁ、そうや。いつまでこっちに居れるんか知らんけど、もしよかったら一緒に飲もう言うといて。俺は当分、京都に居るから」 「もしよろしければ、家にいらしてください」 「綾崎家の屋敷に…? そら遠慮しとくわ。あのお爺さんは俺の天敵やし」 「まあ、フフフッ」 俺は綾崎さんの屈託のない笑みから瞳をそらしてベンチを離れると、飲み干したコーヒー缶をごみ入れに押し込んだ。 振り返ると、綾崎さんは抱き上げた赤ちゃんの手を取って俺に向かって軽く振って見せた。 俺はそれに軽く手を挙げて応えた。 ふっ、と小さなため息が出た。今の俺は複雑な表情してんにゃろな…。 青葉の茂る丸山公園、俺は神宮道へと続く参道を歩いて行った。 終り |
〜 梅小路久彦さんあとがき〜
| 以前書いた『ひと月遅れのハッピー・ウエディング』の続編とお考え頂ければ幸いで す。 前々から暖めていたお話ですが、先日、何年ぶりかで京都に帰った際、丸山公園を訪 れて風景描写が固まりました。 もっとも、桜の開花前だったのですが、そのままだと描写が寒々としてしまうので新 緑の頃の設定としました。 なお、若菜がいずれ産むことになる女の子は、将来自分の兄を『兄君さま』と呼ぶよ うになるのは間違いない(違)。 |
| センチももう10年になるのだそうです。 成長した彼女達の姿を見るのも不思議な気分です。 いつまでも若いままで居てほしいような、成長した姿を見てみたいような、そんな感じです。 さて、彼女たち二人(でもないか?)の話なのですが・・・ 無事、爺を説き伏せたのですね。 てっきり、斬られるかと思ったのですが(^-^;)汗 でも若菜って、爺に猛烈に反対されたら、意を決めて 手に手をとって駆け落ちしそうな気がするんですよね。 そんな気しませんか? |
