センチメンタル・ストッパーIV・第二話
〜 思い出の痛み 〜
| 朝の風が頬を撫ぜて通り過ぎていく・・・。 自宅近くの河川敷。わたしは膝を抱えてぼんやり座り込んでいた。 天気はいい。日差しはまだあまり強くない。10時ぐらい・・・と、日の高さから推測す る。周辺には木とか電柱もないのに、どこからかアブラゼミの鳴き声が聞こえる。それ が何処かやけくそ地味て聞こえるのは九月初旬という季節の所為だろうか。 この場所はわたしの子供の頃からの遊び場所だった。お父さんや昌宏と最初にキャッチ ボールをした場所がここだし、少年野球に入っていた頃、個人練習をしていたのもここだ。 そして、プロ入りを最終的に決意し、スカウトの人にその返事をした場所も・・・ わたしは香澄ちゃんや昌宏の目を盗んで病院を抜け出した。でも家にも球団の寮にも帰 る気になれなかった。そんな時、この河原の事を思い出した。ここに何かあると思えたわ けではない。ただ、誰もいないところへ行きたかっただけだった。 「・・・」 わたしはぼおっと何も考えずに視線をさまよわせた。 河川敷は運動公園になっていて、あたり一面にクローバーが生えている。そこで近所の 子供たちがキャッチボールをやっていた。 わたしは、ぼんやりと子供たちのキャッチ・ボールを眺めていた。 その姿が、昔の自分とだぶって見える。 ただのキャッチボール。あの頃は自分の投げたボールが相手に届くか?相手の投げて くれたボールをちゃんと獲る事が出来るか? ただ、それだけの事にどきどきしていた。 「そう言えばあの時も、ドキドキしていたっけ・・・」 都内の小さなグランドで、『彼』と初めて、野球をやった時・・・投手と捕手として「バッテリ ー」を組んだ時の事が思い出された。 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 出会いは全く偶然だった。 新歓コンパの居酒屋でたまたま席が背中合わせになり、野球の話題で意気投合。翌日、 野球部員だという彼の誘いに応じて、彼の出ている練習試合を見に行くことになった。 試合がおこなれるのは都心からちょっと離れた運動公園。早めに野球場に行くと、誰も いない球場で彼がトンボをかけていた。あんまり良いグランドじゃなくて一杯小石があっ た。彼はそんなグランドと話でもするかのように、石をひとつひとつ拾っていた。 わたしも袖まくりをして手伝った。3時間もするとグランドは試合に差し支えがない程 度にはきれいになった。 その後、わたしたち芝生に腰を下ろして、近くのコンビニで買ってきたジュースを飲ん だ。そしてあらためて自己紹介をしあい、野球について話した。野球を始めたきっかけ。 好きなプロ野球選手のこと。メジャーリーガーのエピソード。高校野球の思い出。お互い に自分の知っている事を全部話そうとした。相手の知っている事を全部知りたかった。 それから、わたしたちは真っ青な五月晴れの空の下で、キャッチボールをした。 わたしはスポーツバック(それもドラム型のゴッツイやつ)にグローブやらボールやら スポーツタオルやらを詰め込んで、試合を見に行った。わたしがグローブを出すと彼は「が っかり」した。どうやら彼はバックの中身が「お弁当」だと思っていたらしい。(ちょっと かわいそうなことをした。) 彼はわたしのキャッチボールを褒めてくれた。(その上「ウチならレギュラーでやれる」 と太鼓判を押してくれたりもした。) 試合は相手チームが少し遅刻をした所為で、30分遅れで始まった。 相手は結構有名な強豪校。彼の学校は弱小もいいところの趣味のサークル。しかし彼の チームはみんな野球が好きらしく、一生懸命だった。それにひきかえ、対照的なのは相手 の学校。先発している選手は投手も野手も全部控えの選手。レギュラーは偉そうにベンチ で観戦。しかもビールなんか飲んでいた。(これには、はっきり言ってハラが立った。)試 合は序盤から一方的だった。が、不思議と点数が入らず、結局3点差で7回まで来た。そ んな試合の7回裏。突然トラブルが発生した。リリーフを予定していた投手が急病で試合 にでられなくなったのだ。 中止か続行か。チームの代表者がホームベース付近に集まって相談を始めた。わたしは 書きかけのスコアブックを膝の上においてそれを見ていた。(彼に頼まれたのだ。)その時、 人垣の向こうからこちらを見ている彼と目が合った。 からかうような視線。彼が何を考えているのか、わたしにはすぐにわかった。 「投げてみるか?」 彼の目がそう言っていた。わたしにマウンドに上がれと言っていた。・・・ただし、とっ ておきのイタズラを思いついた子供のような顔で。・・・ちょっぴり、アタマに来る。 よし、やってやろーじゃないか!・・・と言う気分で、わたしは返事の代わりに、帽子 をかぶり直してグローブを叩いて見せた。 彼はニヤリと笑うと(どんな方法でかはわからないけれど)相手チームの代表と自分の チームの先輩を説き伏せて、とうとう、わたしの「飛び入り参加」を認めさせてしまった。 味方の疑心暗鬼と相手の野次嘲笑の中、わたしはポロシャツとバッシュという「出で立 ち」でマウンドに上がった。そして投球練習の時からエンジン全開で投げた。(試合前のキ ャッチボールですっかり肩は出来上がっていたから、肩を痛める心配も無かった。)こっち にだって意地がある。わたしは野球が好きだ。だから馬鹿にされたまま、マウンドに上が りたくなかった。 八球の投球練習が終わったその後。彼がマウンドに歩いてきた。そしてわたしの顔を真 正面から見て、とてもまじめな顔で、こう言った。 「サインを決めよう。」 ミットで口元を隠した顔はもう笑っていなかった。真剣勝負の、男の人の顔。 「あのアウトローのストレートは勝負球に使える。カーブとシュート、両サイドに投げ分 けられるか?」 わたしもグローブで顔を隠して頷く。 「よし。それでファウルを打たせてカウントを稼ぐ。ストライクの出し入れは任せるけど、 勝負の潮時はこっちに任せてくれ。 気に入らなかったら首を振ってくれていい。」 そう言って彼は守備位置に帰って行った。でも、わたしはその後一度も首を振らなかっ た。全部彼のサインどおりに投げた。首を振るつもりなんて全然なかった。最初の投球練 習だけで、彼はわたしをバッテリーとして、ちゃんと認めてくれた。わたしの全力投球と 意地をわかってくれたのだ。わたしにはそれが何よりうれしかった。 わたしは、二回、打者六人に対し25球を投げ、すべての打者を三振に「仕留めた」。 自分が投げてみて、彼がどんな「捕手」なのか少しずつわかってきた。なんといっても キャッチングが抜群に上手い。そんなに大きい人でもないのに構えが良いせいか、とても 大きく見える。それに捕球の瞬間ほとんどミットが揺れない。低めギリギリのストレート だろうが、カーブやシュートのような変化球だろうが「すぱーん」といい音を立てて完璧 に捕球してくれる。投手にとってこれほど気持のいい事はない。イタズラ心を起して予告 なしで投げたスライダーはさすがに落球したけれど、それでも体に当てて前に落とした。 (この人なら、あのボールも捕ってくれるかもしれない。) 二回を投げ終わってベンチに戻った時、わたしは彼の横顔を見上げながら、思った。 (あのボールを試合で使わせてくれるかもしれない。) 実はわたしには、ずっと練習していたにもかかわらず一度も打者に向かって投げた事の ない変化球があった。そのボールはとても不規則な変化をする。非常に捕球が難しく、昌 宏やお父さんに投げたら怪我をさせてしまいかねない。だからキャッチボールの時すら一 度も投げた事はなかった。でも (この人なら、きっと捕ってくれる!) わたしは思い切って相談してみる事にした。 「えっとね。もう一種類、投げてみたいボールがあるんだけど」 その時、彼は何かショックを受けたような顔でグランドを見つめて放心状態になってい た。(何にショックを受けていたのかは、わたしには想像もつかなかったけれど)でも、わ たしの声が聞こえると、飲みかけの水を吹きだして咳き込んだ。 「変化球!? おい、うそだろ。まだあるのか!」 「うん♪」 と、明るく返事をするわたし。彼は、スパイクにバネでも入ってるような勢いでベンチか ら立ち上がった。 「ええい! 何だ。大リーグボールか? ドリームボールか? まさか分身魔球じゃある まいな。」 わたしは星一徹のようなポーズで、空をゆびさして(今は昼間)答えた。 「るりかボール!」 「・・・・・・」(沈黙。) 「・・・・・・」(ベンチの他の人も沈黙。) 「・・・・・・」(わたしも何も言えなくなった。) 彼に「じとっ」とした目でにらみかえされて、わたしは上げた指を引っ込めた。 「・・・いや、その、ほ、ホントはナックル・ボールなんだけど。」 「恥ずかしいんなら言わなきゃいいだろうに」 「だって。一度、言ってみたかったんだもん・・・」 彼は大げさな仕草でため息をつくと、ひらひらと右手を振った。 「わかった。わかった。・・・投げてみーよ。捕っちゃるから。」 「ほんと? いいの?」 思わず問い返すわたし。彼は片目つぶって(下手なウィンク)言い足した。 「言っとくけどな。僕が高校時代にバッテリーを組んでた投手もナックルを投げとったん だ。ナックルにはちーと『うるさい』ぞ。」 「やったー! うれしい! わたし、バッターに投げるのはじめてなんだ〜!」 「おいおい、ちゃんとストライク、入るんやろうな。」 彼は捕った。2、3度練習しただけで「るりかボール」すらも完全捕球してくれたのだ。 リードでも、まるでわたしの気持ちがわかるみたいに投げたいボールのサインを出してく れた。あんなに楽しい野球は何年ぶりだったろう。最後に相手の四番を「るりかボール」 で三振に討ち取った時、わたしは思わず駆け寄って来た彼に抱きついた。彼はびっくりし て ―――でも、まるで優勝した投手の様に、わたしを高く抱き上げてくれた・・・。 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 「・・・」 わたしは思い出を断ち切るように、目を閉じて抱えた膝の上に顔を押し付けた。思い出 が楽しいものであればあるほど、思い出すのは辛かった。 もう、わたしにはわからなかった。何が悪かったのかも、どうすればよかったのかも。 「・・・・・・あのまま、東京にいればよかったのかな。」 プロになんかならずに、あのまま東京で短大生をやっていたとしたら。 そうすれば・・・そうしたら、どうなっていたろう? 普通に大学生をしていたのだろうか? あのまま演劇部にいて、みんなと騒いで、時々 はコンパなんか行ったりして。意外に何か「役」をもらえたりもしたかもしれない。そし て、たぶん、そこにはそこで新しい出合いなんかもあったのかもしれない。 そこでなら、わたしも笑っていられたのだろうか? それとも、そこでも同じような事 を繰り返してしまうのだろうか? そんな取り止めのない考えが浮かんで消える。 「・・・」 わたしはみんなに黙って病院を出た。部屋に誰もいない時に着替えて外へ出たから、今 ごろ大騒ぎになっているかもしれない。香澄ちゃんや昌宏がきっと心配している。 携帯も置いて来ちゃったから、球団事務所の人も連絡がとれなくて困っているだろう。 それに・・・今夜も試合がある。球場入りしないといけない。 だけど、もうわたしには顔を上げる気力すらなかった。 ・・・と、そんな時。 「なんや。るりかやないか。」 かすかに草を踏む音と共に男の人の声が聞こえた。 振り返ると灰色のサマー・スーツを来た人影があった。 「近藤さん・・・」 「偶然やな。こんなところで、何をやっとるんや。」 そういうとその人は・・・近藤さんは「よっこらしょ」とちょっとおじさんっぽい掛け 声をかけて、クローバーの上に腰を下ろした。 近藤さんは、わたしがプロ入りする時にお世話になったスカウトの人だ。最初にプロ入 りをすすめてくれた人だし、反対する両親を説得してくれたのも近藤さんだった。元はプロ 野球選手で、投手をやっていたのだという。もっとも近藤さんが現役だったのは14年 前だから、わたしは実際に投げている所を見た記憶はない。(父や母は良く知っているらしい。 初めて近藤さんがウチに来た時はそりゃあ物凄い騒ぎになったっけ・・・)キャンプやオープン戦 でもちょくちょく顔を見せてくれたり、ご飯に誘ってくれたり・・・いいピッチングをした時や 「こてんぱん」に打たれた時に電話をくれたりした。わたしも色んな事を相談したし、甘えて 愚痴をこぼしたりもした。本当に親身に気にかけてくれている。 プロの世界でのわたしの「お父さん」だ。 「最近、ようがんばっとるやないか。」 近藤さんはそんな風に話し掛けてきた。 「才能はあると思ったけど、さすがに、デビュー1年目からこんなに活躍するとは思わん かった。俺も鼻が高い。」 笑って、ネクタイを緩める。 「今夜の試合、ストッパーをやるんやてな。午前中のアップは早め終わらせといた方がえ えぞ。元広島の大野さんは七回くらいまで・・・」 「・・・できません。」 わたしは膝を抱きしめたまま、うつむいたままで、近藤さんの言葉を拒絶した。 もう我慢できなかった。近藤さんの顔を見てしまったからかもしれない。この数日、 必死に胸の奥に押さえ込んでいた鬱屈が、けもののように猛り狂った。 「もう、わたし、こんな時に・・・野球なんて」 彼が意識不明の重体だというのに・・・ 「野球なんか、出来ません!」 わたしは、言い捨てた。・・・言い捨ててしまった。 (第二話 完) |
あとがき
| 第二話 長老のあとがき 第二話。長老のオリジナルで密かなご贔屓対象キャラ、近藤氏登場編。 (このお話はあくまでフィクションです。実際の団体、個人とは一切関係ありません。) 第二話は、『語り部君』との出会いのエピソードです。このあたりを語り部君の視点で書 いたお話が、この『センチメンタル・ストッパー』の第一作目ということになります。 ちなみに近藤氏にはモデルがいます。知る人ぞ知るという実在の選手ですが、ここでは これ以上は申し上げません。知ってる方だけ笑ってください。 もしよろしければ、つづきもよろしくご覧ください。 長 老 頓 首 |
