センチメンタル・ストッパーVII

〜 死闘 〜



朝。10時過ぎ。名古屋市内の病院。その一階受付前の、待合室での風景である。

外来、看護婦、入院患者、付き添い、と様々な人が歩いている。その隅で、三人の男女
が所在なげに立っていた。
 ナゴヤドームで六連戦最後の試合が行われるその日の朝、山本るりかとドラゴンズの若
手捕手の吉野雪信は、るりかの兄、山本昌宏の運転する車に同乗して、病院に来ていた。
その三人を病院に詰めていた今中香澄が病院の一階受付前の待合室で出迎えた。ところが、
この時になって、見舞いの花束を車に忘れてきた事に気付いた。
るりかは慌てて花束をとりに戻った。
 結果的に昌宏と香澄、それと吉野が待合室の隅でるりかの帰りを待つことになった。
 
「あの、たわけ」
と、昌宏はるりかの影が消えた人ごみの流れに目をやった。
「るりか先輩、かなり疲れてるみたいですよ。」
 吉野が彼らしくない、覇気の無い声でぼそぼそと呟く。
「ボールにはもう好調時のキレはありません。今は気力だけで投げてるようなモンです。」
「あいつは昔から意地っ張りだから。」
椅子に長いすに腰をおろして、昌宏が応じた。
「こうときめたらテコでもうごかんところがある。」
「それでも、もう限界ですよ。」
 吉野はそう言って、腹立たしげに手の平とこぶしを打ち合わせた。
「こんなこと、いつまでも続けられません!」
「わかっています。けど、わたしも確かな事は、言えないんです・・・」
 今中香澄が、口を開いた。
「実際のところ、もともと確率の高い治療法ではないんです。いまでも覚醒の可能性は二
割あるかどうかです。それに・・・」
「それに?」
「頭部への衝撃によって引き起こされた意識障害。・・・常識的に判断するなら、時間がた
てばたつほど、覚醒の確率が下がります。仮にたとえ覚醒したとしても、どんな障害が残
るか・・・」
 重苦しい沈黙。香澄は目を伏せる。
「このまま、事故から一週間以上経過するような事になれば、覚醒の確率は格段に落ちま
す。おそらくは・・・」
 静かに、深呼吸して彼女は言った。
「おそらくは・・・数パーセントほどまで。」
その言葉は人ごみに流れて、消える・・・耳にした者に、耐えがたい痛みだけを残して。 
そして再び、沈黙。やり場の無い、八方塞りの息苦しさ。
吉野が、耐え切れず、口を開く。彼にはどうしても確認しておかねばならない事があっ
た。
「るりか先輩は、知ってはるんですか?・・・その話。」
 答えは・・・無かった。


センチメンタル・ストッパーW 第七話
             
死 闘


 六回表、一死一塁二塁。わたしは志願してマウンドに上がった。
右のバッターボックスに7番打者が入る。上手いバッターだ。手の内が柔らかくて、バ
ット・コントロールがいい。その上、フェイクの空振りをして相手投手を混乱させるよう
な、小技もきく。しぶとくてスキをつくのが上手くて、投手にとってはこれほど「いや」
なバッターはいない。
「・・・」
 サインの交換。セットポジション。カウント2ストライクと追い込んでの三球目を、わ
たしはアウトコースのストライク・ゾーンに投げ込んだ。バッターは強振。だけど、ボー
ルは芯を外れて、一塁ゴロ。わたしはファーストからボールを受け取って、ファースト・
ベースを踏んだ。打者走者とすれ違った時、軽い舌打ちが聞こえた。
 これで二アウト。だけどランナーは進塁した。二死二、三塁。最低限の『仕事』は必ず
やる。「ただでは死なない」とは、こういう人の事を言うのだろう。
 さすが「クセモノ」。こんな人が「控え」に居る。逆にいえば一番嫌な場面でぶつけられ
る事もある。これがこの打線の、このチームの怖さ。ホームランも打点もチーム打率も一
面の怖さに過ぎない。このチームの本当の怖さは、この『層』の厚さだ。
 わたしは帽子を脱いで、額の汗をぬぐった。帽子のつばの裏に数字のシールが貼ってあ
る。
 67。彼の背番号だ。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

『治療』を始めて3日目。
 わたしはその日の朝、彼の病室を訪れた。
 普通の、空色のワンピースを着て。花束を持って。普通の「お見舞い」の様な格好をし
て。
「外、良い天気だよ。」
 そんな風に声をかける。彼の『答え』は、ない。
 彼は大きな窓がある病室に移った。明るい太陽の光が部屋いっぱいに差し込んでくる。
 その光の中で、真っ白の清潔な寝具に守られるようにして、彼が眠ってる。
「お母さんがお花、生けてくれるって。 」
病室には彼のお母さんがいた。わたしの持ってきた花を生けるために、ナースセンター
へ花瓶を借りに行っている。その間、わたしが彼の横に座る事になった。
「どんなのがいいか迷ったんだけど、『とにかく匂いのいい花を』って言って、後は店の人
に任せちゃった。」
匂いでも彼の心に届くかもしれない。そんな風に思ったのだ。
「だって、あなたがどんな花を好きか、わたし、知らないんだもの。」
 わたしは彼の事を何も知らない。彼の家族の事も。 
「お母さん、大変みたい。」
 彼のお母さんは、わたしを笑顔で迎えてくれた。けれど、随分やつれて見えた。
「わたしが・・・球場に行かなくて良くなったら」
 そうして、付き添いをすれば、少しでも楽をしてもらえるのだろうか?
「ううん。別に、試合に出たくないわけじゃないんだよ。」
 わたしは慌てて、手を振った。
「まあ、ちょっとくたびれたかな。でも、肩や肘は何とも無いんだよ。」
 嘘。肩や肘の張りはもう限界まできている。特に肘は変化球の投げすぎで、炎症を起こ
しかけていた。必死にアイシングしてごまかしているけれど、馬内先生はそろそろ気付き
始めてる。
「みんなとも上手くやってるよ。みんなわたしをいいところで投げさせようって、協力し
てくれてるの。ね、知ってた? 二試合前から、みんな貴方の背番号のシールをヘルメッ
トやグローブに貼り付けて試合に出てくれてるんだよ。」
わたしも帽子のつばの所に貼ってる。辛い時、苦しい時、すぐに思い出せるように。
「おまじない、好きだよね。野球選手って、みんな、そう」
 チームメイトに怪我人や病人が出た時、こんな風にその人の背番号を貼る事がある。野
球の神様(が居るとしたら、だけど。)に祈る。負けそうな時に力を分けてもらえるように。
自分が元気でいることに感謝して、その人のようにひたむきにプレイできるように。怪我
を恐れずプレイできるように。そして、苦労を共にしてきた仲間と喜びを分け合い、怪我
や病気と闘う仲間を勇気付けるために、野球選手は戦友(とも)の背番号を道具に貼る。
「へんだよね。こんなに確率統計とか心理戦とかトレーニングとか、科学的な事にやかま
しいスポーツなのに。」
 おまじない。
 あほらしいことだとおもう。きっと言ったら笑われる。でも。
「・・・・・・」
 軽く目を閉じる。呼吸を整える。ついでにちょっと耳を済ませる。
・・・よし、足音はしない。
 わたしはストールから立ち上がり、ベットの上に・・・彼の横へ腰掛けた。
「ちょっと、おまじない。」
 息を止めて、頬にかかる髪を人差し指で掻き揚げて、目を閉じて・・・そして。
「ファースト・キスでなくて、ごめんね。」
そして、わたしは、彼の唇へ、そっと触れるだけのくちづけをした。
絶対、内緒の、照れくさいくらいに密やかな、ただ一度のキスだった。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 わたしはマウンドに立ちながら、乾いた唇にそっと人差し指を当て、キスのぬくもりを
思い出した。そうしていると、ひきつって痛みしかなくなった指先に、ほんの少し感覚が
戻ってくるような気がした。
 へんなの。
 わたしは胸の奥で苦笑した。
 彼のための「おまじない」だったのに、いつの間にか、わたしが勇気付けられている。


「彼女、つらそうですね。」
 あたりまえだ。こんな無茶があるだろうか? 彼女は三連投じゃないか?
「いえ、六戦連投です。前の三連戦から、投げつづけているんです。一日も休まずに。」
 どうして? そんなバカな!
「そんな変な事なんですか?」
 変も何も! そんな事をしたら肩や肘が壊れてしまうよ!
「いつも、二〇球ぐらいしか投げてませんよ。最初から投げているピッチャー。『先発』っ
ていうんですよね? あの人たちは150球とか投げているじゃありませんか。」
 違う。 全然、違う。
たしかに、先発と抑えでどちらが過酷か等と言う事は簡単に言えない。ただ(これが良
い喩えかどうかわからないけれど)先発完投型の投手がマラソン・ランナーだとしたら、
救援投手は短距離のスプリンター、それもリレーのアンカーのようなものだ。最後にバト
ンを受け取った走者が仲間の期待を背負って全力疾走するように、必ず絶体絶命のピンチ
で登板する彼ら救援投手は、常に「全力投球」を要求される。
さらに、先発が「中5日」というように回復のための休息があるのに対して、ストッパ
ーにはそれもない。一年間、全試合を通じて、ベンチ入りをし、毎試合ブルペンで投球練
習を行って、登板に備える。(救援投手の登板を戦闘機の緊急発進になぞらえて「スクラン
ブル」などとも言ったりする事もある。)そして、ひとたび「出番」がくれば、試合の勝敗
の行方を独りで背負って登板する。
心身の疲労。連投によるその蓄積。「期待にこたえよう」「責任を全うしよう」という強
靭な意志は、知らず知らずに己の限界を越えたプレイを現実のものとする。だが、それは
時として大きな故障を招く「両刃の剣」でもある。全力投球のためか、それとも精神的な
重圧ゆえにか、ストッパーの選手生命は短い。あまりに過酷な役割であるため、通常は「3
年間」がストッパーの活躍の限界であるといわれているし(これを「ストッパー三年限界
説」という)、大リーグでは「連投は3試合まで」という暗黙の了解があるという。
 それを「六戦連投」。昨日は一回だけど、その前は七回から投げている。
 彼女の登板は常識の範囲を超えている。
 どうして・・・・・・
 ぼくにはわからない。
確かに大事な試合だ。負けられない。でも、将来有望な、沢山の期待や夢を背負うべき
未来あるルーキーが、こんな無茶な登板をしなければならない理由が、一体何処にあると
いうのだろう?
「知りませんよ。」
 少年は軽く口を尖らせた。
「あなたにわからないモノがぼくみたいな素人にわかるわけ、ないじゃありませんか。」
「それは」
 そうだ。だけど。
 疑問と不安が冷たい澱のように、胸の底に溜まった。


 七回。わたしはついにヒットを打たれた。打たれたのはカーブ。配球が読まれたのだ。
いつか打たれる。それはわかっていた。それでも何となく幸運の女神によそ見をされたよ
うで、嫌な感じがした。
 その悪い予感の元凶が、バットを持ってバッターボックスに立っている。
 ランナーを一塁に置いて、バッターはクリーン・アップの三番。
 わずかプロ三年目のキャリア、弱冠24歳の若さで、史上最強の打線の不動の三番。「天
才」と呼ばれる、スラッガーだ。
『ノート』は、この打者の成績を記した後、次のように書き添えられていた。
『打撃における天才とは、ストライク・ゾーンの無い打者をいう。』
 あるがままのボールをあるがままに打つ。バッティングの基本にして理想形。それを実
現する稀有の才能。この人には下手な駆け引きは通用しない。アウトカウントは二つだけ
ど、この後のバッターはもっと怖い。――― 勝負するしか、ない。
 そんな追い詰められた気持ちで投げた所為だろうか。ストライクゾーンの外へ投げたつ
もりの『るりかボール』がほんの少し真ん中に入って。
 次の瞬間、打球はわたしの足元を駆け抜けて、センター前に抜けていった。
 はじめて、『るりかボール』を芯で捕らえられてしまった。
 それも配球を読まれて『るりかボール』を、ウィニング・ショットを狙い打たれたのだ。
 一塁方向に目をやると塁上の「三番」と目が合った。ガッツポーズもなく、微笑みもな
く、その人は瞳の奥に鋭い光を湛えてこちらをにらみ返して来た。
 言葉はなくとも何が言いたいか、わたしにはわかった。
『Gのクリーン・アップをなめるな』
 その瞳はそう言っていた。
 わたしは悟った。
『魔法』が解けたのだ。
 

 だめだ!
 僕は思わず叫んだ。
 こんなんじゃだめだ。
 シュートやシンカーは肘や肩に負担をかける。疲れが溜まれば、ストレートだって投げ
られなくなる。こんなに連投すれば、変化球のコントロールが狂ってくる。そうなったら、
もう使えない。
 このままじゃ、彼女は壊れてしまう!
 この時の為に『あのボール』がある。だが、ボールに勢いがなく、変化が小さい。原因
は一目瞭然だった。疲れからか、プレッシャーからかはわからないが、腕の振りが小さく
なっている。もっともっと思いっきり全力投球しなければならないのに、フォームが小さ
くなっているのだ。そのせいで変化球の「キレ」が無くなっている。ゆれの小さいナック
ル・ボールは最早ナックル・ボールではない。ただのスロー・ボールだ。
 昨日とはまったく別人。どうしてこんなことになるんだ! あのボールさえ投げれば打
たれたりしないのに!
その時、突然背後から声がした。
「何を言っても無駄だよ。君の声は彼女の耳には届かない。」
 暗く冷たい声。あの少年の声。しかし一度も聞いた事の無い声だった。
「きみの言葉は『るりか』には届かない。・・・ここに居る限りはね。」
 ・・・るりか。
 その言葉はその名前は何度も耳の奥に、リフレインして・・・
 僕は思い出した! 
 突然霧が晴れるように、イメージが鮮明になる。
 マウンドで投げているのはるりかじゃないか!
 何故、思い出せなかったんだ!
 いや、何で僕はスタンドにいるんだ!
 僕は内野席を下へ駆け下り、内野フェンスを飛び越えようとしたが、出来なかった。さ
っきまでは羽のようだった体が異常に重い。フェンスに、グランドに近づこうとすればす
るほど、体は重くなった。それでも僕は何とかフェンスまでたどり着いた。そしてフェン
スにしがみつき、それを乗り越えようとした。だが、乗り越える事はできなかった。僕が
上れば上るほど、フェンスは上に伸びた。
 こんな事があるだろうか? これは夢の中のはずなのに。
「看板のあたりは非現実、いわばあの世に近い場所。だから空だって飛べる。でも、グラ
ンドの風景こそは、現実なんだ。そこへ近づけば、あなたの体も現実に近くなる。当然じ
ゃないか。それとも、もうそんな事も分からなくなるほどに、生命力が衰えているのかな。」
 振り返るとあの少年が立っていた。
「現実の、今のあなたは、自分の体重すら支えられない状態なんだよ。そのフェンスを越
える事なんて不可能さ。」
 僕はフェンスを支えにして、立ち上がった。少年の言う通りだった。体が重い。ただ立
っているだけなのに、全身から脂汗がにじんだ。
「お前は、なんだ。」僕は全身の力を振り絞って問うた。「一体何者だ。」
「愚問だね。」少年はせせら笑った。「もっと大事な事を考えなければいけないと思うけど、
まあ、君の命だ。好きにするがいいさ。」
 僕ははっとした。そしてフェンス越しにグランドを見た。まだ、るりかが投げている。
 くそっ! 何で交代させない! どう見たって限界じゃないか! 
「もう何を言っても無駄だよ。るりかを見捨てたきみにはその資格がない。」
 少年は、冷たい声で繰り返す。
「君には、その資格が、ない。」
 その顔には、今まで見た事のない表情が浮かんでいる。
「見捨てたりはしない!」
 僕は怒鳴り返した。
僕は『るりか』のためにやれるだけをやった。それだけは誰にも文句は言わせない。る
りかは確かに女の子だ。でも、その素質は立派にプロ野球で通用する。ちゃんとしたサポ
ートがあれば、トップクラスの選手とさえ互角にわたりあえるだけの才能があるんだ。る
りかは野球の歴史を変える選手になる!
「だから寝る間を惜しんでデータを整理する? 素振りをする? キャッチングの特訓を
する? そして、挙句にただのキャッチャーフライを、たった一つのアウト一つを、命が
けでとりに行く?」
あいつを勝たせるためなら、何もいらない! 死んだって後悔するもんか!
「死んでもいい?」
 そうとも!
「本心か? 自分が居なくなってもいいと、本当にそれでいいとおもったのか!」
 るりかのためなら。・・・それが、るりかに、ベストであれば! 
「なるほど」と少年はせせら笑った。
「だから別の奴に、自分の代役をやってもらう。そういうことか。」
 プロ野球を知らない人間が何を言う!
『るりかボール』はるりかのウィニング・ショットだ。るりかという投手にとっての切り
札であり、生命線だ! だけど、このボールを捕れる捕手がいなければ、試合で使う事が
出来ない。そして僕は、プロとしては、才能も素質もない。いつ二軍に落とされるかわか
らない。クビになるかもしれない。その時のために吉野に『るりかボール』の捕り方を教
えた。もしも僕がいなくても、るりかがマウンドで輝きつづけていられるように。吉野が
いれば、あいつなら・・・
「なるほど! だから、代役を立てて、るりかを見捨てたのか!」
 見捨てたりはしない! これが僕が出来る最善だったんだ! るりかのために出来る最
高の手段だったんだ! 僕はるりかに最高でいて欲しかった。それの何が悪い。僕は間違
いなくるりかの為にベストのプレイをやってきたんだ!
「じゃあどうして、るりかは笑っていないんだ!」
 るりかが笑っていない?
 僕ははっとしてマウンドを注目した。
 るりかは笑っていなかった。
 引きつった顔に、追い詰められた表情をして・・・鬼のような形相で、投げていた。
「お前の所為だ!」
 少年は僕を糾弾する。
「お前は見捨てたんだ。たとえ今度怪我をしなくても、いつか自分の限界を理由にるりか
を見捨てる時が来る。結局、それが少し早まっただけのことだ。・・・いずれ、るりかは『独
り』になった! 変じゃないか? それこそ向いている方向が違うんじゃないか!」
 再び、スタジアムの歓声を打球音が貫いた。
 るりかのボールが、また打たれた。打球は外野を転々と転がり、三塁ランナーがホーム
を踏む。打ったランナーは二塁へ・・・
 僕は崩れ落ちるように、その場に膝を着いた。息苦しさが胸を締め上げた。
「ぼ、僕は・・・」
「もう、お前に出来る事は何もない。そうだろう?」
 少年は冷ややかに僕を見下ろしていた。
「たとえ、行けたとしてもどうする? るりかを助ける方法があるか? 絶対絶命の状況
に追い詰められ、限界を超えてボロボロの体になったるりかに、一体何をしてやれる?」
 僕は何も言えずに唇を噛んでいた。そうだ。僕に何が出来る。こんな僕に。
「お前はただの役立たずだ。・・・そうなることをお前はおまえ自身で望んだ。選んだ!」
 少年は冷たい声で宣告した。

▼ 
 八回表。わたしが二つ目のフォアボールを出したところで、吉野君がタイムをかけ、マ
ウンドに駆け上がってきた。
「先輩 ――― 」
 吉野君はとても怖い顔をしていた。
「手、見せてください。」
「吉野君―――」
「みせてください。」
 それ以上はものも言わず、吉野君はわたしの右手をつかんで引っ張った。明確な痛み。
わたしはちょっと顔をしかめると、吉野君は慌ててつかんでいた手を離した。・・・わたし
の右手のつめは内出血を起こして紫色になっていた。
「一体、いつから・・・」
 吉野君は泣きそうな声で聞いてきた。わたしは目をそらせた。でも、もう隠せない。
「昨日の夜から、ずっと。」
 結局、痛みで一睡も出来なかった。つめだけではない。肩や肘がひきつり、間断なく痙
攣に襲われた。わたしは夜が明けるまで、ベットの上でのたうちまわった。
「もう、やめましょう。」
 もはや、ミットで顔を覆うこともせず、吉野君が言った。
「もう、ええやないですか。また、チャンスがありますよ。るりか先輩が投げれんように
なってしもたら、何にもならへんやないですか!」
 一生懸命、誠心誠意、吉野君は言ってくれた。ありがたかった。ここまで無理ばかりい
って、随分負担をかけたのに、わたしの為に、こんなに一生懸命になってくれている。ホ
ントにいい人・・・でも、わたしは首を振るしかない。なぜなら・・・
「そんな事、できないよ。」
「どうしてですかっ!」
なぜなら・・・それは。
「だって」
わたしは唇をかんでこみ上げてくるものを抑えた。
「一週間過ぎたら、あの人が目を覚ます可能性が無くなってしまうから」




(第七話 完)





あとがき

第七話 長老のあとがき

「るりすと」Wの第七話「激闘編」。ついにるりかが、打たれはじめ、「白いシャツの少年」
が、ついに本性(笑)をあらわします。主人公の二人がともにピンチに陥る第七話です。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆


問題シーンがあります。これも迷いましたが、一番書いてみたかったシーンでもありま
すので、書いてしまいました。るりかファンの方にお願いします。できればカミソリを送
ったりしないで下さい。第三者的に読んでいただくのではなく、自分がベットで意識不明
になっていると想像しつつ、るりかのセリフを読んでいただいたり、例のシーンをご覧い
ただけたりすると、ちょっと怒りがおさまるかもしれません。おためしください。

 センチの小説は二巻だけですが、本当は続きの予定もあったそうです。続きがあったら、
こんなシーンも書かれたりしたんでしょうか? 長老は読んでみたかったよーな気もしま
すが、読みたくないよーな気もします。
 あと三つ。よろしければつづきも読んでやって下さい。
 願わくば、みなさまの御目が疲れません様に。


                                長 老 頓 首





Return Top Page


「センチメンタルグラフティ」はNEC Inter Cannel/Marcus/Cybelle/Comix が独自に開発したオリジナル製品であり、
著作権、工業所有権、その他の諸権利はそれらが所有しております。

(c) NECインターチャネル/マーカス/サイベル/コミックス イラスト:甲斐智久
(c) NEC Interchannel, Marcus, Cybelle, Comix, illustrated by Kai Tomohisa