センチメンタル・ストッパーIX
〜 スタンド・レポート(観客席の風景)その2 〜
| ▼ 沸き立つ外野スタンド。 絶叫と歓声の只中で、その女性は、車椅子から立ち上がった。 「どうして・・・」 二人の友の手を借りながらではあったが、確かに彼女は自らの足で立っていた。 「どうして、あの人には見えるんですか・・・」 「そんなわけない!」 付き添いの娘は幾度も首をふった。 「るりかさんにだけ、みえるだなんて、そんな事、あるはずがない!」 わたしに見えないものが、彼女にみえるはずがない。わたしが会えないのに、彼女が会 える筈がない。ずっと・・・ずっと「もう一度」を願ってきたのに! その想いは胸の奥で荒れ狂った。 「そんなの、わたしもわかんないよ・・・わかんないけど!」 オレンジのスカーフの娘は、サングラスをとり野球帽を脱いで、まるで自分自身に語り かけるかのような口調で、つぶやいた。 どんなに目を凝らしてみても、「答え」は見えない。でも、その瞳は緑のフィールドをし っかりと見据えていた。 「多分、ここにいる限りはわからないんだよ。・・・そう思う。」 おそらく、その答えは「あそこ」にある。 ▼ 今日はビールが良く売れた。野球が中々面白い試合だった所為だろうか? さて予備のビールを倉庫にとりに行かねばならないが、頼りの孫娘は、まだテレビの画 面に見入ったままだ。 「やれやれ・・・」 阪神の試合でもないのに、一体、何が面白いんだか。 ▼ 主の居ない部屋に静かに月の光が差し込んでいる。 部屋の中に、イーゼルが立てられていて、そして、そのイーゼルには一枚のキャンバス が載せられている。 その真っ白なキャンバスには、まだ何も描かれてはいない。 ▼ 亭主はグラスを磨きながら嘆息した。そして「彼女」が出て行った扉に見て首をふる。 「ウチも潮時かな。」 アイツ以上の専属ミュージシャンが現われるとも思えんしな。 そう胸の奥で呟いて、亭主は真剣にカラオケの導入を考え始めた。 ▼ 野球中継が終わった。 離れの障子は開け放たれ、澄んだ月の光が差し込んでいる。 部屋の中に人影はない。 ▼ 都内。とある出版社のビル・・・のとあるフロア。 締め切り前の殺気に満ち満ちた編集部のブースに、華々しいハートマークつきの鼻歌が (殺気だった雰囲気を一秒刻みに破壊しながら)流れていた。編集長が頭を上げると、部 下の女性記者がイヤホンを耳に指した状態で、「燃えよドラゴンズ」を歌いながら(ぱらぱ ら風に)踊っていた。 「また、あいつか」 編集長は注意する気を無くした。 ▼ 遅くなってしまった。怒ってなければ良いが。 呟きながら、北大名物のポプラ並木を見上げる。 この時期は卒論の指導などでいつも遅くなるし、同僚と飲み行く事もあるが、今日は帰 らなければならない。なにしろ彼の愛娘が夕食を作ってくれると言うのだから。それも仕 事中の研究室に電話をかけてくるぐらいだから余程の自信作と見える。だから慌てて仕事 を切り上げて帰ることにしたのだ。 ここのところ何か悩みがあるらしく、ふさぎこんでいたが、何かいいことがあったらし い。楽しそうに笑ってくれていれば彼としてもうれしい。 「ケーキでも買って帰ろうか」 そんな事を呟きながら、彼は駐車場に急いだ。 ▼ 空港のロビーで、携帯電話が鳴る。 「はい・・・ああ、今電話しようと思っていたのよ。うん。え・・・ああ、あの、その」 言いにくそうに、彼女は片手のバイオリンを床に置き、携帯電話に手をかざして声を潜 めた。 「いや、その、つい乗り遅れちゃって・・・もう、笑う事ないでしょ。ええ、もちろん!」 答えて、彼女はロビーの衛星放送を見上げた。 「もちろん・・・遅れた甲斐があったわ。」 彼女は晴れやかな声でそう言った。 ▼ 近藤は、黙然とスタンドに立ち尽くしていた。 一つの伝説がある。 ある男が女子による野球の世界選手権を目指し、埋もれた逸材を求めて旅に出た。十数 年の放浪の結果、彼は日本各地にたった十二粒ではあるが、宝石の原石を見つけ出した。 彼女たちが18歳になり、高校を卒業する時、男の野望は達せられるはずであった。だが、 伝説はその幕開け前に、潰える。少女たちと出会いの記憶を共有し、繋ぐ役割を担ってい た一人の少年の、突然の死によって。 十二粒の宝石は悲しみに砕かれて空へ散った・・・ 近藤はるりかの経歴をたどるうちにこの秘められた伝説を知った。そしてその他の11 粒の宝石の原石・・・その恐るべき可能性も。るりかの願いもあって彼はその「伝説」を 自分の胸にしまったのだが、恐らく他球団の情報網はその存在に気付いている。伝説の少 女たちは最早伝説のままではいられなくなるだろう。 「・・・」 近藤は、歓声と喧騒のスタジアムに背を向け、歩み去った。 そろそろ準備をはじめなければいけない。 選手たちの季節(シーズン)の終わりは、彼らスカウトの季節(シーズン)の始まりで ある。 ▼ ゲームは終わった。ペナントレースはもう少し「夏」が続くようだ。 解説者席。一仕事終えた男のスーツのポケットで、携帯電話が鳴った。 ・・・『彼女』だ。 「終わりましたね。」 「ああ、いいゲームを見せてもらったよ。」 こうして解説者席に座っていても、無性にグランドへ行きたくなる時がある。こんな「い いゲーム」を見た後は特にそうだ。 「さて。」 年甲斐もなく、男は緊張していた。 「答えを聞かせてもらえるだろうか?」 「ご返事させていただく前に一つだけ・・・わたしを本当に必要として下さるのですか?」 「正直に言おう。私は君を十年、二十年働ける選手とは考えていない。とはいえ、ここの ところチームはじり貧でね。あいにく話題だけの選手を入団させられるような余裕もな い。」 刹那の沈黙。男は息を継いで続けた。 「わたしは、来シーズンはドラゴンズがペナントの台風の目になるとみている。あのチー ムの勝ちパターンは、接戦を逃げ切るパターン。となれば、あの素晴らしいストッパーを 打たなければ倒す事は出来ない。その為に君の力が必要なんだ。」 彼女は極端にいえばたった一人の投手を倒すための「切り札」だ。本来交渉の席では言 うべき事ではない。しかし、こちらの考えをそのまま伝えることが「彼女」に対する礼だ と思った。男は返事を待った。携帯を持つ手に汗がにじんだ。 「わかりました・・・お世話になります。監督。」 男は息をのんだ。言葉が出なかった。「会うか会わないか・・・」などという返事ではな かった。この試合の後でなら交渉の余地もあるか・・・と考えていた程度だったのに、そ れが、いま、彼女から返ってきたのは入団承諾の回答だったのではなかったか! 「おいおい、ちょっとまってくれないか。・・・わたしはまだ監督では」 言いかけて男は頭を振った。『彼女』に見え透いた社交辞令など何の役に立つだろう。全 ての欺瞞と迷いを貫き、瞬時に真実に迫るあの透徹した『まなざし』。それこそが男が彼女 に期待した「才能」だったのではないか。 「君に隠し事は出来ないな。・・・任せてもらおう。わたしが責任を持って君をプロにす る。・・・してみせる。」 「はい。」 「わたしも聞いていいかな。・・・君はプロには興味が無かったんじゃないのか?」 「興味は今でもありません。」 「ほう。」 「でも」かすかな吐息の後、彼女は言った。「彼女が・・・るりかさんが見たモノをわたし も見てみたくなったんです。あそこへ・・・」 一息とも言えぬほどの息を継いで、彼女は言った。 「あそこへ行けば、わたしにも、もしかしたら、って・・・」 「そうか。」 彼女の見たいモノが何であるのかは、わからない。しかし、男は知っていた。・・・同じ 時期を同じ場所で過ごした仲間には特別な共感がある。たとえば仇同士のライバルであっ てさえも。・・・そういうものだ。 男は電話を切った。そして勝利に沸き立つ一塁側のベンチをみた。アマチュアとしてプ ロとして、そしてお互いチームの監督として、ずっとしのぎを削ってきた好敵手の顔が見 える。 「来年はうちもおもしろい野球が出来そうだ。・・・対決が楽しみだな。」 スタジアムはまだ試合後の熱狂に揺れている。 彼らの夏は、まだ終わらない。しかし・・・ 新たな季節(シーズン)への胎動は、始まっていた。 |
あとがき
| 第九話 長老のあとがき 「るりすと」Wの第九話。 るりかと語り部君「以外」のエピローグです。 異論反論、よろず受け付けます。が、できれば気楽に読み飛ばしていただけると助かり ます。 さて、次でホントの最後。 ありがとうございました。 長 老 頓 首 |
